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2010/03/06 14:51
万松寺 信長

毎日10時、12時、14時、16時、18時に上演されます。
織田家の家紋のついた扉が開き、万松寺で行われた父・信秀の葬儀の際に信長が香を投げつけたという焼香事件の場面がからくりによって再現されます。
第二場は桶狭間の合戦前夜、『人間50年、下天のうちをくわぶれば、夢幻の如くなり』と幸若舞の「敦盛」を舞う信長の姿が上演されます。
八代目玉屋庄兵衛作。
2010/03/06 14:50
万松寺ビル 白雪稲荷の物語

江戸時代から伝わる甘酒屋の白狐伝説がモチーフとなっています。
狐が化けた尼にだまされて、甘酒を飲みつくされてしまった甘酒屋。それを見ていた白雪稲荷が気の毒に思い、甘酒屋は守護を受け代々栄えた、という伝説です。
太夫の人形の名古屋弁語りに合わせてからくりが動きます。
二代目萬屋仁兵衛文造作。
2010/03/06 14:49
大須観音 宗春爛漫

八代将軍吉宗の時代、江戸では倹約政策をすすめていましたが、名古屋では徳川宗春がこの政策に反して芸能や消費を奨励しました。 このことが、芸どころとしての基礎を築いたとされています。
宗春の政治のように、優雅で華やかなからくりです。
最初に演目を「唐子」か「浦島」か選ぶことができ、内容が異なります。
名古屋の人形作家・夢童由里子作。
2010/03/06 14:48
若宮八幡社 山車からくり

毎年5月の例祭(若宮まつり)と10月の名古屋まつりの際に引き出される山車に、からくりが設置されています。
人形は延宝4年作のもので、明和4年に人形師・竹田寿三郎がからくりを改良。
ふたりの唐子が登場し、一人は団扇太鼓(うちわだいこ)を打ち、もう一人は蓮台に左手をつき逆立ちになり右手で摺鉦(すりがね)を鳴らします。
2010/03/06 14:47
三英傑

大津通りと若宮大通が交差する高速道路下に設置されています。
雅楽の音色にのせて、名古屋に縁のある三英傑、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の順に登場します。
八代目玉屋庄兵衛作。
2010/03/06 14:43
大須観音

大須観音(おおすかんのん)は日本三大観音の1つで、真言宗智山派の別格本山で本尊は聖観世音菩薩です。 詳しい寺号は「北野山真福寺寶生院(ほうしょういん)」。 なごや七福神の一つである布袋像を安置しています。
寺内に、貴重書を多数蔵する古書庫「真福寺文庫(大須文庫)」があり、『古事記』の最古写本をはじめとする 国宝も含む貴重書を寺宝として保存しています。
元亨4年(1324年)に後醍醐天皇が尾張国長岡庄大須郷(いまの岐阜県羽島市桑原町大須)に北野天満宮を創建。 元弘3年(1333年)に同社の別当寺として僧能信が創建した真福寺が始まりです。
その後、慶長17年(1612年)に徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正茂によってこの地に移転しました。
明治25年の大須の大火と第二次世界大戦の空襲で、2度の焼失を被りましたが、昭和45年(1970年)に再建し、現在に至ります。
「観音さん」と親しみをもって呼ばれ、参拝客も多く訪れます。境内には「大正琴発祥の碑」があります。また、毎月18日と28日には骨董市がたち、多くの人で賑わいます。
2010/03/06 14:37
万松寺(萬松寺)

万松寺は、天文9年(1540年)織田信秀公(信長公の父)によって、菩提寺として開基されました。
十一面観音菩薩を本尊とし、信秀公の伯父大雲永瑞大和尚を迎え、開山したお寺です。
正式名称は亀岳林(山)万松寺で、信秀公が夢に見たのとそっくりの場所に建てたその土地の、 亀がたくさん住んでいたなどの特徴から名づけられました。
その名前は、現在大須三丁目となっている万松寺通の呼び名のもとになっています。
慶長15年(1610年)、名古屋城築城にあたり現在地に移転しました。
平成6年に完成した本堂では、文化勲章者などの絵馬、80余点の作品が展示されるギャラリーや 織田信長公のからくり人形が一般に公開されています。
地下一階、地上五階建ての本堂は、本尊である十一面観音菩薩を安置する他、 厨房、書院、書画美術品展示室(ギャラリー)、からくり人形、鐘楼堂が造られています。
また、身代わり不動明王をはじめ、商売繁盛、家内安全を希(こいねが)う白雪稲荷等があります。
信秀公が多子だったことにあやかり、古くから安産、息災成長を願う婦女子の参詣も目立ちます。
2010/03/06 14:36
七寺(稲園山 七寺)

正式名称は「稲園山正覚院長福寺(とうえんざんしょうかくいんちょうふくじ)」といい、 奈良時代の天平7年(735年)に開創されました。
七寺(ななつでら)の名前の由来は、河内権守紀是広(かわちごんのかみきのこれひろ)が7歳で亡くなった 我が子のために延暦6年(787)に建立した7区の仏閣と12僧坊の七堂伽藍にちなんだものです。
七堂伽藍や寺塔は、水害や戦火により焼失してしまいました。
その後、慶長16年(1611年)に徳川家康の手により現在の場所に移され、 享保15年(1730年)には尾張の繁栄と発展を祈願する尾張徳川藩の祈願所となりました。
江戸時代には芝居小屋が3つもあった程、境内は広くにぎやかなところでした。
元禄13年(1790年)、徳川光友がかつてのシンボルであった三重塔を再建しましたが、 第二次世界大戦の戦火によりその大半を消失し、その後の区画整理により現在に至っています。
戦火を免れたのは、経蔵、観音・勢至の両菩薩、唐枢入一切経のみで、弥陀三尊の脇侍観音、勢至の2躯は、 国指定重要文化財として祀られています。
大日如来像は江戸時代寛政年間に鋳造されたもので、焼夷弾の傷が痛々しく残っています。
この七寺では、大須酉の市が行われています。
不況が続く中、この名古屋から再び全国に活気を取り戻したいと、尾張国で徳川の繁栄を支えた 稲園山 長福寺のもと「大須七寺 酉の市」が開催されるようになりました。
職人の手によって一本一本丁寧に作られた熊手を求めて、多くの方が訪れます。
2010/03/06 14:35
若宮八幡社

名古屋市民には「100m 道路」と呼ばれる、「若宮大通」の名前はこの神社からきています。
大宝年間に名古屋城三の丸に建てられ、延喜年間に再興されました。当時は、現在の那古野神社 と隣接していたようです。
天文元年の合戦で社殿が焼失しますが、織田信長によって天文8年に再建されました。
慶長15年、名古屋城が築かれる際に現在の場所に移転し、現在も名古屋総鎮守として市街を見守っています。
昭和20年、戦火により社殿再び焼失。昭和32年、現在の社殿が復興されました。
例祭の若宮祭は、名古屋東照宮の東照宮祭、天王社の天王祭と並び、名古屋三大祭とされています。
天王祭と日程が同じであったため、区別するため祇園祭と呼ばれていました。現在は別の日程となっています。
多くの山車を有する神社でしたが、昭和20年の戦火によってほとんどを焼失。現在は福禄寿車を残すのみとなっています。
この福禄寿車には、手をついて逆立ちし、片手で摺鉦を打つからくり人形がつけられています。
毎年、5月の若宮祭と10月の名古屋まつりに曳き出されています。
2月8日には、「針供養まつり」が行われます。
若宮八幡社の末社・御衣神社は「衣の神様」といわれ、衣類関係業者の信仰を受けてきました。
縫製に関わる人々が日ごろ使っている針に感謝し、豆腐やこんにゃくに刺して供養します。
2010/03/06 14:34
三輪神社

元亀年間(1570~1572)に奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)から勧請したという神社です。
名古屋には数少ない、三輪神社のうちのひとつです。
中央の左右に脇鳥居がある、「三輪鳥居」という珍しい鳥居があります。
京都の三十三間堂を模した矢場があり、これが大須と隣接する矢場町の地名の由来となっています。
